Gospel (ゴスペル)

第81号 (2003年6月)より

確かなものを求めて

高氏博史

この度、母教会の特別礼拝に招かれて、懐かしい子母口のみなさんに お会いで登ることは嬉しい限りです。
集会案内のゴスペルに何か感話と言われて、困りましたが、 私が教会に行くようになった経緯を話したいと思います。

入社祝いに聖書を

川崎で就職した時、入社祝いに会社から聖書をいただいたのです。 これがきっかけで近くの子母口の教会へ礼拝に行ったのです。
今思うと不思議です。聖書に、「人の歩みは主によって確かにされる。 主はその人の道を喜ばれる」とあります。私たちの人生は、 目には見えませんが、天地の造り主である神によって導かれているのですね。

若い世代が求めるもの

私が長野で出会った若い人たちの六人もが牧師になりました。 これは若い世代は、確かなものを求めて、いろいろ考えるころだからでしょう。
私もそうでした。確かなものが教会にあるのではないかと思って教会に行ったのです。 聖書に、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」 と語っています。いつまでも変わらない、確かなもの。それは神が人と なられたイエス・キリストなんですね。

西暦の起点はキリスト誕生

まことに、キリスト教は、イスラエルのベツレヘムで生まれた、この変わらざる イエス・キリストを神と認める人々の信仰なんです。 そして西暦はキリスト誕生を起点としているのです。
日本に、一五四九年フランシスコ・デ・ザビエルが鹿児島に上陸。 そして日本伝道の礎石を敷きました。それは室町時代、織田信長が尾張名古屋の 城主であったころです。この子母口の地域に、キリストの福音がノートヘルファー宣教師により 伝えられたのは一九五五年、今から四八年前。もうすぐ半世紀を迎えますね。
キリストは、「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びる ことはありません」と、確かなるご膚身を求めるよう、私たちを招いておられるのです。 その聖書をあなたにも。




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