† 宣教子母口キリスト教会のおいたち †

カール・ノートヘルファー宣教師 1929(昭和4)年 宣教のため来日
等々力伝道、教会設立 … 空襲で教会消失。
太平洋戦争で軽井沢に移る。
食糧難で苦労。祈りによって困難の中、守られる。
終戦後の1947年、東京に戻る。東京の教会を独立させる。

新城駅周辺伝道を始める。1955年(昭和30年)
ノートヘルファー宣教師指導の下、若い青年献身者によって、
紙芝居、天幕伝道、聖書研究、個人伝道がなされ、
多くの信仰者が導かれる。

竹内学習館、間借り伝道館 1956年(昭和31年)
(新城105番地、現:保田接骨院)
多くの子どもたちと、次々と信仰に導かれる大人が増やされる。

中原福音館 1963年(昭和38年)
(小杉御殿町2-97)
日本同盟基督教団に所属し、牧師が配属され(島田牧師)、
信徒役員が立てられ、教会として設立される。
ノートヘルファー宣教師、定年で帰国(1965年11月25日)。

子母口に土地を得、教会が建てられる …1967年(昭和42年)
現在地である。当時の教会の周りは、畑や田んぼであった。
現在からは当時を想像するのが難しい。
信者が増え教会が手狭になり、増築。

子母口キリスト教会増築 …1977年(昭和52年) 教会堂が増築され、いよいよ発展する。。感謝。
また、子母口の町並みも、現在の住宅地の様相に近くなる。

現在の宣教子母口キリスト教会新築…1993年11月(平成5年)
教会の老朽化に伴い、教会としての機能を充実するために、
会堂を新しく献堂し、今日に至る。

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